平戸いの翔塾がとても気になる

私は小・中・高校と塾に通ったことがない。
習い事と言えば小学校5年生まで通った習字くらいで、そろばんも習ったことがない。
私の子ども時代には「学童」というものも存在しなかった。
勉強といえば学校だけで、自宅で宿題をやることはあったが、それ以外で学校の外で勉強することはなかった。

以前、情報処理力と情報編集力についての記事を書いた。

藤原和博さんが唱えている教育の話を自分なりに解釈する(その1)
藤原和博さんが唱えている教育の話を自分なりに解釈する(その2)

私は典型的な情報処理型人間として育ってきた。
学校教育は真面目に受けていたものの、受験勉強まっしぐらで、それ以外の学びというものを受ける機会が少なかった。
18歳で大阪へ移った時に、周りの環境や、自分とはかけ離れた考えの人間と出会って衝撃を受けた。
18年間、平戸、生月の田舎で一体何をしていたんだろうと、本気で悔やんだ。
当時は情報処理脳、情報編集脳という考え方は存在しなかったが、明らかに自分が学校で学んだこと以外に学ぶべきことが世の中には存在し、自分にはそれが圧倒的に欠如している感覚があった。
社会に出る前にその感覚を覚えることが出来たことは救いだったかも知れない。

現代の子どもはどうか

私の個人的な考えでは小学校、あるいは中学校の一部分においては情報処理力を養うことが必要だ。
算数と数学を学ぶことで理論的な考え方が身についていないと、たとえアバンギャルドなアイデアが浮かんだとしても、アイデアを実現するための道筋を作れない。
情報処理力は情報編集力を最大限に発揮する基盤になり得る。
高校・大学では情報編集力に特化した教育、学びが必要だ。
高校まで進学すれば、情報処理力はある程度身についている。
それよりも答えがない問題に立ち向かう、自ら考え、判断し、表現する力を身に着けなければならない。
もちろん、小・中・高校・大学で役割を完全に分断することは好ましくなく、それぞれの段階に応じて情報処理力と情報編集力の教育の分量と質を半分、調整しなければならない。

その辺りを関連省庁でも認識、働きかけていることは、学習指導要領や受験生度の改正を進めていることからも分かる。
問題は「誰が教えるのか」ということだ。
はっきり言って学校の教師はあてに出来ない。
彼らは戦後一貫して情報編集力を教え込むことに特化してきた学校教育の申し子だ。
彼らに「今までAを教えていましたけど、やっぱりBが大事なんでBを教えてください」といってすんなり教育出来るだろうか。

地域教育復権

私は地域社会にこそヒントがあると思っている。
私が子ども時代を過ごした30年前までは、まだまだ地域にも教育機能が残っていた。
近所のおじちゃん、おばちゃんは悪いことをしている子どもを叱ったし、ケンカをすることに反対する親がいる一方で、ケンカを推奨するおじさんがいた。
しかし、特に都会では近所付き合いが希薄になり、地域から教育機能がなくなってきた。
近年、社会は教育を学校へ任せすぎた。
今こそ学校は間口を広げ、中身を開放し、受け入れを拡大し、地域社会全体で教育を捉えるべきだ。
企業や団体からの人材を学校内へ招き入れ、子どもたちをどんどん学校の外へ出していく。
教師は自分たちだけで何とかしなければならないという、教師特有の妙な責任感を放棄して良い。

平戸いの翔塾

ここに来てタイトルが登場するわけだが、平戸に面白そうな塾が開校した。
塾長の井上翔一朗さんはラ・サール中学、高校をへて早稲田大学へ進学、在学中から政治家秘書としての活動をしていたという経歴の持ち主。
出馬を決意して福岡へ戻るも、政治よりも教育が大事という思いが目覚め、大手塾での講師を10年間務める。
塾講師時代に平戸への合宿で何度も足を運ぶうちに、平戸で子どもを育て、教育をしたいという考えに至り、平戸移住を決意。
平戸の教育を何とかしたいという思いで塾を開くに至った。
塾長の経歴だけ見ても面白そうな香りがする。

塾講師を務めるのは大学の同級生たちだが、決して多くない。
子どもたちはPCを前にeラーニングで学習を進める。
塾に来れない日も自宅にPCとネット環境があれば同様の学習を受けることが出来る。

おそらく井上さんは現状に全く満足していない。
「平戸いの翔塾」は平戸から教育を変えていくきっかけ、その1歩目に過ぎないような気がする。
大事なことは、学校と平戸市と地域社会と「平戸いの翔塾」が分断してはいけない。
それぞれを人材と子どもが横断し、教育を受けられるような環境が必要だ。
それこそ「言うは易し」だと思うが、平戸在住のいち市民として今後も井上さんの動向はチェックしていくつもりだ。

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