とても間が空いてしまったが、前回の記事の続きである。
前回、日本社会が高度経済成長を成し遂げた理由について、とても端的にまとめた。
読んでいない方は是非、一読して頂きたい。
あくまで個人的見解だが、大筋は合っていると思う。
留意すべきことは前回の記事に書いてる内容ではなく、高度成長期を終え、インターネットが発明され、スマホが普及した現代において、成長期のロジックは通じなくなっているという点である。
では現代において求められていることは何なのか、前回の記事を振り返りながら、私なりの思いをまとめようと思う。
一つのことをコツコツやる→複数の分野を横断する
インターネットが発明される以前、各業界の間には壁があり、企業の競合相手は同じ業界にしか存在しなかった。
しかし、インターネットが業界の壁を貫き、巨大な横柱として突き刺さった。
WEBデザイナーやHP作成業者は業界を問わず横断的に仕事を請負い、大手企業はこぞってサーバー管理者やネット広告の営業を雇い、ECサイトが乱立した。
現代においてインターネットは全ての産業の基幹システムの如く存在している。
さらにスマホが世界的に普及し、世界が変わった。
Huluの横にLINEやMusic、Amazonのアプリが横並びで存在している。
もし、自宅のテレビがネットに繋がっているなら、フジテレビのライバルはテレビ朝日ではなく、友人からのLINEやAmazonでの買い物になる。
楽天で全国の美味しい物が取り寄せできる現代では、地元の定食屋同士のライバル関係など取るに足らない小事だ。
このような現代で求められる人材は一つのことに特化した職人のような職業人ではなく、業界を横断して活躍できる人である。
近い将来、自動車が完全自動運転を実現し、ハンドルやアクセルやブレーキがなくなり、車内にテーブルや椅子が設置されるなら、整備士よりもインテリアデザイナーの方が活躍出来るだろう。
社会が目まぐるしく変化していく現代において、一つのことしか出来ない人材は活躍の場を失う。
男が働き、女は家庭を守る→老若男女がともに働き、ともに家庭を守る
人口減少は留まることを知らず、この春から本格的に始動する働き方改革がよほどの成果を出さない限り歯止めは効かないだろう。(私は期待しているが)
女性の社会進出、活躍が叫ばれて久しいが、そもそもなぜ国が率先して女性活躍に取り組んだのか、それは男女平等などの倫理的な理由などではなく、単純に人口減少→労働力が不足して女性が働かないと日本経済の危機に直結し、国が困ってしまうから、というのが背景だと思っている。
現代日本は人口減少がさらに進んでしまい、女性だけでなく定年後の高齢者も、障害者も、外国人までも労働力として確保しなければならない状態である。
男だけ、若い人だけ働いていれば経済が回る時代では既にない。
とすれば、家庭を支える専業主婦や家事手伝いの姉妹のような存在はなくなるので、必然的に男性(正確に言うなら働いている全ての人)は家庭をも守る役割を担うことになる。
長時間労働が業績に直結した→生産性を向上させ、短時間で結果を得る
「女性が産休・育休を取り、その後職場復帰出来る企業」が褒められた時代は過ぎた。
女性が働き、家庭に留まらない現代において、子育てだけでなく介護の問題が大きくのし掛かってきている。
働き盛り、かつ割と重要なポストを与えられている40・50代のサラリーマンが親の介護のために長時間働くことが出来ないのだ。
しかも子育てと違い介護は終わりが見えない。
全てのサラリーマンには、働きたくても働けないという現実が訪れる可能性がある。
短時間で結果が出ないのであれば、残業してでも結果を残せば良いというロジックは通じない。
生産性を上げて、短時間で結果を出すことが出来なければ介護と仕事の両立は不可能だ。
同時に、企業側(雇用主)は短時間労働を認めるだけでなく、多様な働き方に対応し、高齢者や障害者、外国人を受け入れる体制を整えなければ、競争力を維持することは出来ない。
均一なものを大量に欲しがる→多様性と品質が求められる
テレビや自動洗濯機、自動車などが一般家庭に普及した頃から成長期は徐々に終わりを迎え、PCやスマホが個人レベルで普及している現代は完全に成長期から成熟期に以降した。
これ以上成長しない市場では、現状の規模で中身を成熟させることでしか発展は望めない。
消費者はより質の高いもの、より多様なもの、他にはない希少性を求め、生産者はそれに答えなければならない。
家と会社を行き来するだけで長時間労働をしている社員は、均一のものを大量に生産することは出来るかもしれないし、同じことをコツコツと継続することは出来るだろう。
しかし、同じ職場で同じインプットしかしていない社員からは多様なアイデアや、ライバル企業が思いつかないような発想は出てこない。
多様な仕事を経験し、休みの日には外出して非日常的なインプットをしている人からしか、競合を出し抜く商品は生まれないのである。
いつも定時に仕事を終えて一切残業をしない人だけが、帰宅後の時間や休みの間に多様なインプットを出来るのだ。
戦後の学校教育→これからの学校教育
日本では戦後一貫して正解主義・バランス型の教育が施され、義務教育を終えた多くの子どもは「正解」を宝物のように大事にし、協調性こそ正義のように振る舞った。
この辺りについては以前の記事にも書いたので参照してほしい。
藤原和彦さんが唱えている教育の話を自分なりに解釈する(その1)
藤原和彦さんが唱えている教育の話を自分なりに解釈する(その2)
現代社会で求められているのは既に分かっている「正解」を導き出すことではなく、正解が分からない問題、正解がないプロジェクトにも果敢に挑み、トライ・アンド・エラーを繰り返しながらでも納得できる回答を探し出す力である。
正解を見つける仕事なんてコンピューターやAIに任せてしまった方がよっぽど速い。
ここまでにまとめたように、目まぐるしく変化する社会環境に対応し、多種多様な人材を導き、新たな価値観を創造出来るリーダーは、決してバランス型の教育からは生まれない。
最後に、書き始めたときにはそんなつもりはなかったが、割と働き方改革に寄り添ったような内容になってしまった。
それは私の興味関心の影響、現れだと認識頂きたい。
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