「なっさん」こと私、永田有佑のプロフィールです。
1979年生まれ、男、独身
長崎県在住の会社員です。
現在は販売の業務を中心に据えながら、営業・人事・採用・広報・企画・マネジメント等々、幅広い業務に携わっています。
自分のモットーは「やらなきゃいけないけど誰もやらないなら自分がやる」です。
これまで学んだことを活かしながら、経験したことのないジャンルにもチャレンジしています。
合わせて個人としてアウトプットする場を作りたいと思い、当ブログの開設に至りました。
【0〜18歳】
長崎県の小さな島で生まれ、小中は島内、高校は隣の島まで通いました。
高校を卒業するまでは実家で暮らし、割と一般的な学生生活を送りました。
小学校5年〜高校2年までサッカー部に所属するも、病気による入院生活、1年間の運動禁止という状況に陥り、止む無くサッカー部を退部しました。
当時は運動できなくなること、大好きなサッカーが出来なくなることに大きなショックを感じたことを覚えています。
興味のあった絵(絵画)の勉強のために3年生から美術部に所属し、デッサンやアクリル画を学びました。
進学クラスに所属していたこともあり、特に疑問を持つこともなく教師を志して大学を受験しました。
真面目な高校時代という反面、広い世界で多様な価値観に触れたいという欲求が強く、都会への憧れがありました。
【18〜22歳】
高校卒業後、4年制大学進学のために大阪へ引っ越して一人暮らしを始めます。
大学時代は勉強よりもアルバイトに明け暮れていました。
大学で小学校の教員免許を取得するも、教育実習中(3回生時)に当時の学校教育に疑問を持ち、教師になることを諦めました。
アルバイトで散々青臭い仕事をしていたためか、就職という「大人」の社会に溶け込めない不安・葛藤を感じていたことを覚えています。
【22〜24歳】
大学卒業後はCDショップでのアルバイトを継続しながらフリーター生活が2年程続きました。
その間、子ども時代から大好きだった絵を描き始めました。
2年間で10回程の個展やグループ展、イベント参加などを行いました。
ギャラリーやイベンターのもとに営業をかけ、絵を売り込むことがすごく新鮮で楽しかったです。。
しかしながら元来の飽き性が発揮され、2年後には活動を一切止め、就職します。
【25〜31歳】
絵描きとしての活動よりもアルバイトの方に面白みを感じ、アルバイト先の企業にスライド式に就職しました。
就職後は接客、マネジメント、営業、経理など店舗運営に関する業務を広く学びました。
特に多くのアルバイトスタッフと共にお店を作って営業していく過程は楽しくもあり、自分を成長させてくれる場所でしたし、大学時代と同じ青臭い仕事が自分に馴染んでいたのだと思います。
残念ながら、所属していた店舗事業の縮小傾向が強まり、遂には事業売却に至った段階で退職しました。
【31〜32歳】
退職後、再就職のために一旦実家(長崎県平戸市)へ戻りました。
就職活動中に病気(クローン病)が発覚、2ヶ月の入院とその後の自宅療養を余儀なくされます。
クローン病の完治は難しいため、現在も治療を継続しています。
今となっては病気との付き合い方にも慣れてきましたが、当時は本気で「死」を感じていましたし、入院中は将来に絶望していました。
人生に希望を取り戻させてくれた家族、友人たちに感謝しています。
実はこの当時もブログを書いており(現在は閉鎖)、ネット上での偶然の出会いを経て、iPhoneのアクセサリー販売の店舗へ就職が決まり、東京へ引っ越します。
【32〜36歳】
東京で就職が決まり、再び一人暮らしを始めました。
iPhoneアクセサリー販売店舗としては当時国内唯一と言っても良いくらいのベンチャー事業でしたが、あらたなマーケットを開拓して成長していく事業に喜びを感じながら店長業務をこなしました。
店長業務を2年ほどこなした後に、営業部へ転属、複数店舗のマネジメントをしながら商品の仕入れ、卸しなどに関わる営業を行いました。
フリーター時代の営業活動で得た経験が思わぬ形で発揮できたと思っています。
若輩者の意見や・行動を受け入れて頂いた上司・先輩の方々、信頼して付いて来てくれた後輩社員、今でも感謝しかありません。
順調に思えた東京生活でしたが持病のクローン病が悪化、新たにうつ病を併発、入院が必要なほど重症化しました。
数ヶ月に及ぶ入院、治療が必要と診断され、退職に至りました。
【36歳〜現在】
実家へ戻り2カ月の入院、自宅療養を経て就職活動を開始します。
縁あって現在の会社へ就職することとなり、今に至ります。
42歳時、投資に興味を持ち少額での積立投資を始めました。
お金に詳しくなりたいと思い、ファイナンシャルプランナーの3級資格を取得、現在2級取得に向け勉強中です。
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